帰宅した散文

なまいきです。当然のようにつまらないです。

大量の餅

何の脈絡もなく、大量のお餅が手に入った。僕は23時8分池袋発の湘南新宿ラインに乗ったつもりで、実際に乗っていたのだけれど、電車が運んだのは経由駅の新宿ではなく赤羽だった。すなわち、反対方面へ向かう電車に乗っていた僕は、それと気付いてからも中々赤羽駅を出られずにいた。夜で本数が少ないこともあり、対抗電車は全く姿を現さなかった。ようやく、新宿行きの埼京線が来て僕は予定より大幅に遅れて帰路につく。
電車というのは不思議なもので、来てほしいと願えば中々来ないし、待ってくれと叫びながらホームをダッシュしていると来ていたりする。僕たち人間が作ったはずのものは、何故か人間を個人と介するとき決して思い通りに動こうとしない。技術発展は時に考えものである。僕たちの生活をより快適にするために産み出されたものが、段々貧しくしてしまっているのだ。明らかに憂うべき事態である。
いつもの帰り道を順当にこなし、京王線で最寄りまでの電車を待っていた僕は、夜の新宿特有のべたっとした空気に嫌気がさしていた。何といっても年の瀬で、質のいい乗客ばかりではない。ここでもさっさと電車に乗り込みたい気持ちでいながら、当然のように待ちぼうけを食らっていた。
その時なのである。僕がふっとわいた幸運を手にしたのは。とはいえ、大量の謎の餅を貰うのが幸運なのかといえばそれはよくわからない。どうせなら、当選した宝くじや夜の道で蠢いているカニや、悪行が合法になる世界を与えられたいものである。だが、餅は現実味に溢れている。もし3億円当たっているからこれを全部君にあげると言われても疑って受け取らないし、カニは自分で捕まえる。それを考えると、この贈り物は年末に与えるものとしては素晴らしい選択だったのだろう。僕は今、年が明けた後、このお餅をどう処理するか悩みに悩み尽くしている。